御坊・日高・有田・田辺エリアの出来事や行事を毎週金曜日に更新。創刊22周年を迎えた地域情報紙のオンライン版です。
地域密着、22年目の情報誌
「ツー・ワン紀州」は、和歌山県南部の有田地方・日高地方の3市9町を対象エリアとする週刊地域情報紙です。最大発行部数40,578部、対象人口約16万1,000人に向けて、行政・教育・文化・スポーツなど幅広い地域の話題を掲載しています。
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田辺弁で紡ぐ昔話の夜 語り部の語りに耳を傾けてみた
秋の夜、田辺市の中心部から少し外れた古い建物の一角に、柔らかな行灯の明かりがともっていた。集まったのは、地元の方言で「むかしばなし」を語るための一夜限りの語り場だった。券を手に会場へ足を踏み入れると、木の床に響く足音と、どこか懐かしさを感じさせるざわめきが漂っていた。
田辺弁は和歌山県南西部に伝わる独特の方言で、紀伊半島南部の暮らしの中で育まれた言葉のリズムが色濃く残っている。「おおきに」が挨拶の代わりに使われる京都の言葉とはまた違い、潮風と山並みに挟まれた土地柄がそのまま音韻に溶け込んだ話し言葉だ。古い言い回しの中には、日本の古い時代にまでさかのぼる語彙がそのまま息づいているものもあるという。
今回の語り部イベントは、田辺市の地域文化振興に関わる人たちが企画したものだった。普段は仕事帰りにも素通りしてしまうような路地裏の集会所が、この夜ばかりは「ことばの宴」へと姿を変えていた。事前にチラシで知っていたとはいえ、入り口に掲げられた手書きの看板に足を止めると、なぜか子どもの頃に祖母の家で聞いた遠い記憶がふとよみがえった。
会場には、すでに三十人ほどの地元住民や観光客が集まっていた。年配の女性から小さな子ども連れの家族まで、客層はさまざまで、誰もが目を細めて語り部の登場を待っている。壁に貼られた田辺市の古い白地図を眺めながら、この土地が育んできた物語の豊かさに思いをはせた。
語り部の横顔と聞き方への誘い
語り部として舞台に立ったのは、田辺市内に住む中年の女性だった。彼女は幼い頃から祖母や近所のお年寄りから田辺弁の昔話を聞いて育ち、大人になった今は地域の言葉の美しさと物語性を次の世代へと伝えたいと願っているという。最初の数分間、彼女はゆっくりと会場を見渡し、「今日はみなさんと一緒に、田辺の言葉で昔の時間をお過ごししましょう」と柔らかく語りかけた。
語り部という役割は、特定の職業ではない。地域の古老や伝統芸能の担い手が、その土地固有の言葉で物語を口伝えする存在を指す。日本各地に語り部の会は存在するが、田辺のようにその土地固有の弁をそのまま使って昔話を語る場は、全国的にもそう多くはない。彼女は、田辺弁のリズムそのものが物語の一部であると話す。
語りが始まる前に、語り部の方から会場の方々に簡単な「お願い」が伝えられた。語りの間は静かに耳を傾けてほしいという趣旨だったが、同時に、暗くなりがちな場面では小さな声で相槌を打っても構わないという温かい案内もあった。まるで昔ながらの井戸端会議のような、参加型の空気が会場全体を包んでいった。
田辺弁の音がつむぐ独特のリズム
最初の語りは、ある山深い集落に伝わる「鶴の恩返し」に似た物語だった。ただし、語り手は標準語に切り替えるのではなく、最初から最後まで田辺弁で物語を進めた。「あんた」と呼びかけるときの語尾の柔らかさ、「ほんまかいな」と確かめる独特の語感、そして語りの終わりに用いられる「あんじょう やすやすと やすめーよや」という就寝を勧めるような一言。耳慣れない響きの中に、しかしどこか懐かしさを感じさせる音の数々が、聞く者の心を少しずつほぐしていった。
田辺弁には、古語が多く残されていることで知られている。たとえば「うみ」がご飯を意味する場面や、「おとん」が父親を指す語彙は、他の地域ではほとんど使われなくなった古い日本語の痕跡だという。民俗学の研究者によれば、紀伊半島南部は日本の中でも方言の保存状態が顕著な地域の一つであり、田辺弁はその中でも特に音韻の豊かさが際立っている。
語り部の方が時折みせる間もまた、この方言特有のテンポを生んでいた。語りの途中で一度大きく息を吸い込み、聴衆の反応を確かめるように目を閉じてから、次の場面へと進む。標準語では省略されてしまうような助詞の繰り返しや、文末を断定ではなく問いかけのような調子で終える言い回しが、物語の余韻を深くしているように感じられた。
語られた三つの昔話に見る土地の記憶
その夜に語られたのは、全部で三つの昔話だった。一つ目は、海辺の村に伝わる漁師の嫁と人魚の物語。田辺湾を舞台にしたこの話は、地元の古老が船乗りから聞き取ったとも伝えられている。語り部の声は、まるで潮の満ち引きのように静かに、しかし力強く物語を運んでいく。人魚が浜辺で踊る場面では、「波のあんまり静かな夜やった」という言葉が添えられ、聴衆は一様に目を閉じてその風景を追体験しているようだった。
二つ目は、山奥の炭焼き小屋に伝わるという、ちょっと不気味な「山の主」の物語だった。ここでは、田辺弁特有の語彙が物語の不気味さを一層引き立てていた。炭焼きが山の神に遭遇する場面では、「おっつかー」「こわごわと」といった現代の標準語ではあまり耳にしない言い回しが連ねられ、会場には緊迫した空気が漂った。小さな子どもたちは、お母さんの袖を握って身を乗り出していた。
最後に語られたのは、笑いと温かさに満ちた「たぬきと村の娘」の物語だった。これは地域の年中行事とも結びついている昔話で、語りの合間には手拍子を入れる場面も用意されていた。田辺弁で「ちきちき」と表現される小気味よいリズムに合わせ、会場の参加者も自然と手拍子を打ち始め、一体感が生まれた。詳細は田辺弁の昔話に触れるを参考にされたい。
参加者の反応と地域に広がる芽
語りが終わった後、会場のあちこちで小さな会話の花が開いていた。年配の女性は目を潤ませながら、「これは私の母がいつも語ってくれたおはなしと同じだ」と語り部の元へ歩み寄っていた。若い世代の参加者からは、「普段は標準語ばかり使ってしまうけれど、田辺弁の柔らかさを改めて感じた」という声が聞かれた。子どもたちは、怖い話と温かい話のあまりの落差に、しばらく言葉を出せずにいる様子もうかがえた。
主催者の方によれば、このような語り部イベントは今回が初めてというわけではなく、過去にも数回にわたって開催されてきたという。しかし、回を重ねるごとに少しずつ参加の層が広がり、近隣市町村からも足を運ぶ人が増えているそうだ。会場の後方に置かれていたアンケート用紙には、「また開催してほしい」という声が何通も寄せられており、地域の文化的欲求の高まりを物語っていた。
帰り際、語り部の女性は出口で一人一人に丁寧に頭を下げて送り出していた。その所作はどこか昔の神事の手つきを思わせ、この土地が持つ言葉の力をそのまま人に伝える存在としての重みを感じさせた。会場の外に出ると、秋の夜風の中に遠くから潮騒のような音が聞こえた。田辺湾の波の音と、語り部の声のリズムが、どこかで重なって聞こえたような気がした。
消えてゆく言葉と、それを聴くことの意味
現代では、田辺弁を日常的に使用する人は確実に減りつつある。学校教育では標準語が中心となり、若年層が祖父母の方言を直接聞く機会も少なくなった。日本各地で同様の方言の衰退が進んでおり、田辺市も例外ではない。そうしたなかで、語り部のような活動が持つ意味は、単なる昔話の伝承にとどまらない。地域に根ざした言葉のリズムそのものを、後世に橋渡しする役割を担っている。
言葉とは本来、生活の中から生まれ、生活とともに変化してきたものだ。しかし、田辺弁のように古い日本語の語彙や言い回しを色濃く残す方言は、地域の歴史を映す鏡でもある。語りの一語一語に、土地の地形や気候、産業や信仰が凝縮されている。語り部の活動を通じて、田辺弁という文化的資産が地域社会の共有財産として再認識されつつある。
私自身、この夜に参加して改めて感じたのは、方言とは単なる「なまり」ではなく、その土地の思考法そのものだということだった。同じ日本語であっても、語り口が違えば受け取る印象はずいぶん変わる。田辺弁で語られる昔話は、標準語訳では失われてしまう間や抑揚を含んでいる。「あんじょう」という言葉一つとっても、その語感には相手を気遣い、心地よい時間を共に過ごそうとする温かな心が宿っている。
会場の後方には、プロヴァンスの暮らしに関連した冊子も置かれていた。地中海沿いの小さな町に息づく時間の流れと、紀伊半島の南端に残る口承文化は、対岸の炎のようにどこか響き合っている。地域の暮らし方を大切にする視点は、田辺弁の語りを聴くという体験を通じて、より深く胸に刻まれる。
田辺弁の語り部イベントは、地域文化の継承と、新しい地域の魅力を発見するきっかけづくりの両面を持っている。地元紙や地域サイトでは、こうした取り組みの情報が継続的に発信されている。気になる方は、ツー・ワン紀州の案内から最新情報を確認し、田辺弁の響きが静かに広がる夜に、一度足を運んでみてはいかがだろう。言葉の向こうに広がる土地の記憶を、五感で受け取る瞬間がそこにあるはずだ。
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