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小松さん(美浜町)の戦争出前話 目標1万人に拡大 実現へ向け毎日体力強化 [美浜町]

[2016年10月28日掲載]

和歌山県日高郡美浜町和田、美浜町文化協会理事の小松雅也さん(85)が7年前から行っている「戦争出前話」を聞いてくれた人がことしで5000人を突破した。当初は目標3000人でスタートしたが児童らから「1万人を目指して頑張って下さい」と激励されたことで元気をもらい一挙に目標を1万人に拡大した。小松さんは「活動を続けるには健康が第一」と、毎日50分のウォーキングを欠かさず体力維持にも余念がない。(竹内文雄記者)

小松さんの実兄・伸一さんは、太平洋戦争が終わる年の昭和20年5月28日に沖縄沖海上で特攻隊として自ら操縦する戦闘機「飛燕」(ひえん)でアメリカの船に突っ込み還らぬ人となった。まだ22歳の若さだった。

伸一さんは戦争に行く前は、地元の和田尋常高等小学校で教師をしていた。

しかし、戦争が激しくなってくると「お国のために役立ちたいので、兵隊さんになりたい」と自ら志願して特攻隊を選んだ。

戦闘機もろとも敵の船にぶつかっていく特攻隊になることは、事実上の「死」を意味していた。

しかし、父・介造さんと母・時代さんは「よう言うた。特攻隊となる以上、お国のために手柄立てなあかんで」と激励。息子の命についての心配は微塵たりとも見せない気丈夫さだった。

伸一さんの戦死公報が届いた時も両親は涙ひとつ見せず「よくやった」と胸を張ったという。

小松さんは「国のために散った兄も偉いが、よくやったと言える母親は本当に強くて立派」と感心していた。

ところが、伸一さんの33回忌を執り行った際には、時代さんは伸一さんの墓前で狂おしいほど泣き叫んだ。

小松さんはこの時初めて母親の「本当の悲しみ」が理解できたという。

小松さん自身も小学校の軍事教育で児童同士が互いに相手を殴らされたり、学徒動員中には給食で「イヌの肉」を食べさせられたり、数々のつらい体験をしてきた。

小松さんは若くして散っていった兄の苦しみを中心に両親の悲しさや小松さん自身の体験を「戦争出前話」とまとめ、平成21年1月から各地で講演を続けている。

講演では「現在の豊かな恵まれた社会は先輩たちの苦労があったなればこそ。今の平和の有難さに感謝し、この平和をいつまでも守り続ける努力が大切ー」などと話している。

出前話を始めたころは「3000人も聞いてもらえたら上出来」のつもりだった。

だが、やり始めると好評で県内外の学校をはじめお寺や各地の「9条の会」やライオンズ、ロータリーなどの各クラブや労働組合などから要請が相次いだ。

こうして積み重ねた結果、平成25年8月12日の日高附属中学校双成会の76人で3051人に達し、目標の3000人を突破した。

その後も順調に伸びことし7月7日の日高附属中での59回目の講演で5000人を超えた(5011人)。

小松さんとしては、当初目標だった3000人を超えたことで、内心では「そろそろこの辺で終わりにするか」と考えていた。

しかし、小松さんの講演を聞いた小中学生をはじめ多くの人たちから「いいお話でした。もっと大勢の人々に伝えて欲しい」などの声が寄せられている。とくにことし9月30日に訪れて話した湯川小学校児童から寄せられた感想文の中に「ぜひ1万人を目標に頑張って下さい」と期待する声がいくつもあった。そこで「子どもたちの純真な願いにはなんとしても応えなくては」と決意。

早速、1万人を目指しての体力作りにとりかかっている。

毎日、午前中に近くの煙樹ケ浜の松林内3・6キロを50分かけて歩いている。

今月31日には、美浜町内で開かれるウォーキング大会の3キロと6キロのうち、6キロの部門に参加を申し込むなど元気いっぱい。

小松さんは「戦争の悲惨さと今の平和のありがたさをより多くの人たちに伝えるには、私自身の健康が大切なので、しっかり身体を鍛え、これからも戦争出前話を続けていきたい」と意欲満々だ。

(写真/「今の平和を大切に」と話す小松さん)

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